日本の不定時法
表は夷秋観をつくろいながら、裏では舶来ものを崇拝するという矛盾した行動をとっていました。
ともかく幕末においては、日本の不定時法は大勢として国際社会に対応できなくなっていたことは明らかです。
こうして明治6年1月1日、政府は太陰暦を廃止して太陽暦に改正したとき、同時に不定時法を西洋式の定時法に切り換えた。
そのときの布告には、つぎのように記されています。
「一、時刻ノ儀、是迄昼夜長短二随ヒ十二時二相分チ候処、今後改テ時辰儀時刻昼夜平分ご十四時二定メ、子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時二分チ、午前幾時ト称シ、午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時二分チ、午後幾時ト称候事」